プロだから

ふと、K太郎のことを考えてみました。


K太郎はベリッコからすれば大の大人で、
トークのプロだと完全に頼られていると思います。
しかしK太郎の立場で考えた場合、
小中学生の女の子たち7名から
『できて当たり前』
と思われることはどうなんだろうと思いました。
それって逃げ場のない状況で、もしかして
K太郎は結構苦労しているのかもしれない。。。
なんて思いました。


しかし『できて当たり前』というのは社会人として、
その分野のプロとして当たり前であって、
大人として仕事をこなしているだけだとも思います。


結局何が言いたいのか。
大人は逃げ場がないのだと言いたいのですよ。