歴史

暗く、先の見えない道を歩いている


昔から、目先のことに集中しすぎ、大きなことに目がいかなかった


不器用なこの人生、何度もつまづき、遠周りをして生きている






20歳前くらいの時、どうやって生きればいいのか模索していた時に
出合ったのがモーニング娘。だ。

CDを聴いて好きになったのではなく、友達と一緒に行った
ライブで好きになった。
開演と同時にステージが明るくなり、中澤裕子さんを先頭に娘。が出てきた。
そして始まる「モーニングコーヒー
騒ぐ客席、ステージのかわいい女の子…
この瞬間でやられた。
この開始の華やかさが衝撃的で僕の心をつかんだ。


と、言ってもまだまだ軽かった。
それほど仲のよくない人達にも「俺モーニング娘。好きやねん」
と軽軽しく言っていた頃が懐かしい。
本当に軽かった。
周りにカオリ好き(その当時は推しとは言わなかった)と言ってるクセに
CDを買ってなかったくらいだから。
恥ずかしいことだ。


そのうちASAYANすら見てないことが友人達にバれ、
流石に見ろとなり毎週見だした。
するとかわいい女の子が出ている。
新メンバーの後藤真希だ。

ちょっと本気になり始めた。
ちょうど家族の持ち物として親がパソコンを買った時期でもあり、
壁紙や画像を集めたり、掲示板をROMったり、健全なオタク活動を開始する。
4期メンバーも加わり、美少女だったよっすぃーや子供の辻ちゃんが好きになる。
今思うとこの頃あたりくらいが丁度良かったのかもしれない。
好きだけどまだ軽かった。
趣味の範囲で抑えることができた。


しかしこのコの出現がヤバかった。

松浦亜弥
このコの存在はデカかった。このコは良くも悪くも僕の人生を変えた。
まず、本気にさせた。
本気でCDを買い、写真集を買い、本気で彼女の言動に注目するようになった。
スクスク成長するその様にシビれていたのだ。
そして気が付けば彼女を応援することは趣味ではなく、
生活の一部になっていた。
毎日ご飯を食べるように彼女の情報を探していた。
某大手あややサイトに行き、彼女の情報に一喜一憂していた。
ここであることに気づいた。
あややに夢中になればなるほど、自分の何かが補われている気がした。
最初は何となく補われているくらいにしか思わなかったけれど、
ミキティが出てくる頃には確信していた。
「ああ、ぼくはあややで補完しているんだ」と。
ぼくは人として欠落している部分がある。
その欠けている部分から風が吹きこんで、体を壊してしまうから、
そこの個所にあややを詰め込んで自分を作っていることに気づいた。


そして社会人になりその欠落はさらに大きくなり、
補う努力もさらにエスカレートした。
あややだけでなく、メロン記念日美勇伝と、ハロプロ系のライブはほとんど行く
ようになる。
そしてもう軽軽しくハロプロの話題をできなくなった。
軽軽しくあややの話題をする連中に合わすのが苦痛になり始める。
意識レベルが違うのである。
あややがかわいいことなんて当たり前のことで、問題はどうすれば
彼女がビッグになるかなのに。。。
イライラしたものだ。
たぶん子供のいる人があまり自分の子供の話をしたがらないのと
似てるのだと思う。
大切すぎる存在なので、他人に触れられたくないんだと思う。


そして欠落と補完の最終形としてBerryz工房と出会う。

彼女たちは『欠落し者どもの約束の地』とも言える存在だ。
UFAの連中にうまくコントロールされたモノだ。
以前にも書いたが売れ出したメロンを抑えることにより、
キモヲタをBerryz工房に導く。。。
売れすぎたあややに魅力を感じなくなった『欠落し者ども』も見事に喰らい
ついたねw。
いやー、楽しい。
Berryz工房の魅力はこの場では語らないが、『欠落し者ども』の『補完の場』
を見たければライブに行けばいい。
そこまで補うのか?というほどの現場ですw。


そして今、ぼくは嗣永桃子と出会った。

桃子への愛情は今までのメンバーと比較できないレベルにまできてしまった。
あややは崇拝の気持ちしか起こらなかったけど、桃子は違う。
本気で愛している。
そんな今のぼくは満ち足りた気持ちになっている。
何も欠けていない。むしろお腹いっぱいなくらい。
ぼくをこんな気持ちにさせてくれる桃子に心から感謝している。
そろそろファンレターを書こうと思っている。
嘘のない本当の気持ちを伝える段階にまできてしまった。もう書こう。
ただあまり本人を引かせないレベルには抑えようとは思うけどw。
そこらへんが難しい。


人に歴史あり、ヲタに歴史あり。
補完の現場を否定することはできない。
あれが彼らには必要だから。








たまには自叙伝的なことを書きたくなった、夜の秋でした。